四国八十八カ所

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仏教は突然訪れた訪問者

四国八十八カ所をめぐる人々が皆、空海の遺徳を偲んで旅しているわけではありません。

挫折感に打ちひしがれ、心の安寧や立ち直るきっかけを掴みたいという人、信仰によって病気を治したいという人、亡き人を偲ぶ弔いの旅人、歴史探訪の旅人など様々です。

もともと我が国は神々の宿る地であり、仏教はむしろ突然訪れた訪問者です。

空海の時代、仏教伝来よりわずか250年しか経っていません。

したがって空海や最澄ですら、その地の神々に許しを乞うたのち、高野山や比叡山に寺社を建立したのです。

空海の死後、その弟子や聖たちも同様に神々の許しを乞うて、空海ゆかりの地に祠や小さな寺を建て、修行のかたわら土地の人々に空海の人となりを話してきかせました。

話題に事欠かぬ超人的な行跡ゆえに、杖をついて清水を湧き出させたなどという逸話も、数多く生まれました。

人々は空海を理解したというより、その霊験にすがってからだやこころの病気を治してほしいと集まってきたのでした。

こうして空海が青年時代、四国の山野に修行して歩いた地を中心に次々に寺が建ち、室町期に入ると僧侶や聖、山伏だけでなく、一般の庶民も巡拝するようになりました。

江戸期に入ると四国八十八カ所の霊場が定まり、この霊場をまわることによって88の煩悩が消え、巡礼者の願いがかなうと信じられるようになりました。

したがって、他の巡礼地とは区別して、四国八十八カ所を巡ることを遍路と言い、巡礼者をお遍路さんと呼ぶようになりました。

今も年間15万人もの人々が、この遍路道をたどっているのです。

空海の密教

さてその空海の密教についてです。

この難解で知られる真言密教を一般庶民が理解しえたとは思えません。

もともと仏教は現世を苦と無常の世界であるとし、原因は欲望にあるとみて、その脱却を説く教えです。

すでにインドにおいて、解脱を目標とする釈迦の教えは彼の死とともに廃れていき、修行すればご利益があるという密教が生まれていました。

これが金剛智らによって中国へもたらされ、唐の宮廷で道教と人気を二分するようになったのです。

しかし実際のところ、密教の人気の秘密は思想よりもその呪術性にありました。

この時期、長安におもむいた空海が恵果から潅頂をうけた密教は、理論的に確立されたものといいがたく、彼は不完全な形のまま日本に持ち帰り、独自で真言宗という新しい密教をつくりあげたのです。

釈迦と大日如来

密教では釈尊が説法する大乗経典と異なり、大日如来と呼ばれる毘盧遮那仏が説法をします。

この大日如来は目に見えるものでなく、宇宙に存在するすべてのものに宿る、知恵と慈悲に溢れた存在であるとされます。

そして大日如来に感応するにはただ経文を読むだけではだめで、彼自身がそうであったように、修行三昧によってのみ会得されるとされました。

すなわち手に印を結び、ひたすら真言を唱えながら、仏や菩薩と交感するのです。

こうして自分が宇宙の一部、さらにはそのすべてとなり、宇宙の真理たる大日如来そのものになるのを最終目標としました。

一見途方もないような話ですが、この修行に耐えれば現世利益を得ることができ、現世での成仏すら可能であると説いたのです。

このように現世に対し積極的に働きかけて現世利益を得るというところが、仏教思想とは根本的に異なっています。

ではなぜ、このように理解しがたい空海が民衆に受け入れられたのでしょうか。

それは多分に空海の人間性によると思われます。

彼は金銀に彩られた豪華絢爛な密教美術で民衆を圧倒し、あわせて加持祈祷もおこないました。

また、満濃池をはじめとする多くの河川の改修や堤防の設計を行うとともに、安全祈願の呪法をおこない、民衆の信頼を集めていったのでした。

空海は死んでいない

それにしても1,000年を経てなお、空海を慕って巡礼するひとが絶えないのは、驚異というほかありません。

それは主に、空海の入定(即身仏となった)後、高野山を降りた高野聖たちが全国を巡り、彼の偉業、彼の奇跡を語り歩いたことが大きいと思われます。

聖たちは、空海のいる高野山は浄土であり、ここに納骨すれば必ず救われるとし、高野山への納骨と同時に寄進を求めました。

こうして高野山には数十万もの墓石が集まり、弘法大師信仰は全国に広まっていきました。

空海は死んではいない、入定したのだという信仰が、今なお高野山を覆っています。

驚くべきことですが、奥の院の維那(空海の身の回りの世話をする)の手によって、1,000年の間絶えることなく、空海のいる廟所へ日々の食事が届けられているのです。

かくのごとき扱いをうけた日本人は、まさに空前絶後といえましょう。

ちなみに醍醐天皇から弘法大師の諡号(おくりな)が贈られたのは、空海の入定90年後のことでした。

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