フロイトの「無意識」

フロイト
今から100年前、精神科医のフロイトは患者との対話のなかで、ひとの行動や心理の裏には無意識というものが働いており、その無意識というものが人間を動かしている

こころの病の原因はその無意識のなかにあるのではないかと考えました。

近代哲学の祖・デカルトの「われ思う。ゆえにわれあり。」という考えを否定する画期的な発言でした。これが深層心理学の始まりといわれています。

フロイトは無意識のなかにあるものは、3つの形をとって現われると考えました。すなわち、一つ目は勘違いや度忘れ、二つ目は、三つ目は神経症です。

とくにこの無意識という概念は、フロイトが夢を研究しているときに浮かんできたといいます。

フロイトによれば、本来夢は人間の願望を満たすためのものであり、無意識からのメッセージだというのです。

ただ夢にはその人の願望がそのまま現れる場合と、願望が無意識のうちに抑え込まれている場合があり、抑圧されたものは睡眠中、しばしば意識の中に出てこようとしますが、そのままでは刺激が強くて目が覚めるため、穏やかな内容に作り替えられて夢になるというのです。

また、起きてから思い出す夢と実際見た夢とは、しばしば異なります。思い出した夢は、もう一度加工され直したものということになります。

このように夢に様々な手が施されるのは、ひとえに睡眠を守るためであるというのがフロイトの考えでした。

開業医としてのフロイト

開業医としての彼は、主にヒステリー患者を中心に診療をおこなっていました。

彼は無意識が顔をのぞかせる夢を分析すれば、患者が感じている葛藤や願望を解き明かせると考えました。

したがって、夢を分析してこころの奥に潜む無意識的願望を取り出すためには、これらの加工や作り替えを元に戻さなければなりません。

その作業にあたって、大切であったのは、夢のイメージよりも言葉に注目することと、その夢を見た人の個人史を知ることでした。

彼は患者さんの過去を承知したうえで、本人が思い出す話しや連想する内容を聞きだし、無意識のなかにある抑圧されたものを読み解いていこうとします。

たとえば、リンゴから赤を連想し、赤から夕焼けを、夕焼けから故郷を連想するといった内容を患者から聞きながら、無意識に閉じ込められた内容を推し量るのです。

さらに彼は無意識に潜んでいる内容には、なにかの性的な象徴を示していることが多いことに気づきました。

たとえば平らな家は男性を、凸凹ある家は女性を、敬愛される人物は両親を、小動物は兄弟を、旅立ちは死を、ステッキや棒は男性性器を、洞窟や靴は女性性器を表すといった具合です。

とくに夢のなかで抑圧されている欲望の多くは満たされぬ性欲であり、それがしばしば色々な形をとって夢に出てくると考えました。

こうして、無意識のなかで抑圧されたものを取り出し、それをうまく意識に浮上させれば、ヒステリーも治るのではないかと考えたのです。

複雑な心理作用

しかし実際には容易に病気が治らない事態に直面します。治りたくないのではと思わせるような心理作用が働いているようなのです。

結局、抑圧されたものだけが無意識なのではなくて、抑圧する無意識があるのではないかという認識に至ったのです。この抑圧する無意識とは自我にとって理想的な「良心の声」というべきものです。

これらの作業により患者に無意識に封印した内容を思い出させ、言葉ではっきり自覚させると、症状が消失するという治療法にたどりついたのです。

彼は精神医学の領域に身を置きながらも、画然とした唯物論者であり、科学的な事実に基づく精神医学を目指したため、精神分析にあたって宗教的な要素が入らぬよう細心の注意を払いました。

社会現象と精神分析

また彼は社会現象に対しても、精神分析が可能であると考えました。

すなわち、ひとは社会の制約をうけて生活していますが、自我が様々な欲求不満に侵される結果、その制約はひとの欲望を抑圧する事態になっています。

絶えず戦争や犯罪、暴力がおこるのは、こういう欲求不満を解消させようとする心理作用によるのではないかと分析したのです。

彼は昼間は開業医として患者の診療にあたり、夜中に論文を書くという生活でしたが、住んでいたウィーンの医学界は一開業医に過ぎない彼の「精神分析」を評価せず、いったんイギリスやアメリカにおいて高く評価されたのちに、やっとその価値を認めるようになったといいます。

また彼はユダヤ人であったため、ナチスドイツの追及をうけ、1938年、82歳でロンドンに亡命せざるを得ませんでした。しかし、長年わずらったガンが進行し、亡命した翌年、安楽死によってこの世を去りました。

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