自己防衛社会 ”惣”が育んだもの

米
もともと几帳面な民族などいるわけがない。集団のなかで、周りの目を気にしながら生きていくうちに醸成されていったものである。

子をもつ親がよく口にする「周りの人に迷惑をかけない人に育って欲しい」という願いは、日本人気質の一面をよく表している。

周りに迷惑さえかけなければ、世間の了解は得られるだろうという控え目な発言である。

無論本音は別であろうが、それほどにひとは世間の目を気にしながら生きている。

もっとも、周りに迷惑をかけないという裏には、他人に迷惑をかけられるのも許さないという気持ちが溢れている。

いったいこの気概はどこから来ているのであろうか。

随分昔のはなしになるが、鎌倉から室町時代の移行期に思いをはせてみよう。

鉄製農機具の普及で新田開発が進んだおかげで、二毛作をしようかという時代である。

しかし世の秩序は乱れ、富裕な農民は無頼者の侵入に備えて、自己防衛しなければならなかった。

このため農村名主は内部の結束を固めるため掟を定め、違反者を厳しく取り締まった。

農民にとって農業用水の確保は生命線である。

そこで外来者の取り締まりと同時に入会地(いりあいち)や灌漑用水の管理を農民だけで守っていこうという強い意志がという自治組織を産んだ。

互いに水を管理し、時間を守らなければ厳しい社会的制裁を受ける。こうして気骨ある農民が次々に育っていったのである。

そのなかの大いなる農民が地侍となり、さらに肥大化したものが国人となった。

以後戦国期に至るまで、我々の祖先は“惣”の中で息づき、安定した秩序を保ってきた。

こうして周りに迷惑をかけないというおもいは江戸時代にも受け継がれ、600年の年月を経て、日本人の精神的骨格となった。

同時に、規律を遵守する几帳面な性格も“惣”のなかで育まれ、日本人気質となって結晶化した。

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