武士道精神

刀

幕末武士道と無私

欧米に出かけた若者がもっともよくうける質問のひとつが、日本のサムライについてだそうである。

どうもサムライ武士道は欧米人にとって東洋の魅惑のひとつであるらしい。

欧米ばかりか我が国でも、若者たちが「サムライ」や「武士道」に魅力を感じるのは、おそらく幕末武士道についてであろう。

この時代、外国の侵略という恐怖のなかで、多くの武士が祖国を守ろうと一途に情熱を燃やしたのである。

日本史を通観してもこれほど国を挙げて武士が真剣に身を焦がした時代はない。

彼らは口々に尊王攘夷を唱え、自己燃焼した。そのなかでは自分の欲望などは取るに足りないものであり、それを口にするなどはもってのほかという空気があった。

彼らは遮二無二自我を抑え込み、身も心も公に尽くすことをひたすら念じたのである。

じつに健気である。

振返って幕末武士の生き様を俯瞰すると、そこにははっとするほどの無私の美しさがある。

これこそが今もなお現代人の心を捉える根拠になっているようだ。

幕末武士道の魅力は無論それだけではない。

武士の徳の中心はである。義理ともいう。

江戸時代の代表的武士道書「名君家訓」に「義理と申すものひとつをば、士の職と定め申すことにて候」とあり、義理こそ武士の職務であるという。

人のおこなうべき道を守り、道に外れたことは絶対しないというものである。

そのためには礼儀正しく、誠を尽くさねばならない。

嘘をついたり、ひとの悪口を口にすることは厳に戒められた。

ひととの約束は必ず守り、「武士に二言はない」のである。

なにも仕事をしていない武士が農工商の人々から尊敬されるためには、義理を大切にするしか方法がないということである。

彼らは自意識過剰なほどに、自分の行動が他人からどう見えるかに気を配った。

論語に、「義を見てせざるは勇なきなり」とある。

一言に義理を尽くすとはいえ、現実には多大の障碍が立ちはだかり、実行は容易なことでなかった。

このためには匹夫の勇(思慮分別のない勇気)ではなく、大勇(まことの勇気)こそ欠くべからざるものとされた。

大勇こそ欠くべからざるもの

武士にとって勇気は絶対不可欠のものであった。

武士道における仁は「武士の情け」である。孟子の惻隠の情につながる。

惻隠の情とは、親が子を思う、弱いものを思いやる心情である。幕末のこの時期、武家における子弟教育の厳しさはつとに有名である。

幼子が怪我して泣くと、「戦場で腕を切り取られたらどうするか、主から切腹を命じられたらどうするか。」と詰問し、厳寒の夜明け前から子をおこし、素足で師の家に行かせ、素読のけいこに励ませた。

しかしそれは、後日戦場にでたとき、寒さに耐えられるよう、飢餓に我慢できるようにという親心で、いじめではない。背後には必ず惻隠の情があった。

幕末の武士に、けれんみのない爽やかさを感じるのは、彼らが金に染まっていなかったことに関係がある。

古来、権力をもったものは財力をもつのが世の常である。ところが彼らは大いに貧乏である。しばしば農工商の人々よりも貧しかった。

しかし彼らには清貧に甘んじるのを潔しとする空気があった。金の計算はいやしい行為であり、武士のする仕事ではない。下役人の仕事であるとされた。

幕末武士道の洗練

西欧列強の侵攻に際し、幕末武士道は洗練されていった感がある。

しかしながら武士道を過剰に評価しすぎてはならない。

江戸は民主主義には程遠い、士農工商の階級社会である。

それなら人口の5%にすぎない武士はさぞかし優越感に浸れたであろうと思いがちだが、必ずしもそうはいかなかった。むしろ、窮屈極まりなかったといえる。

彼らは身分の最上位にいるという意識から、面目を保つことに執心した。例えば理不尽な不意打ちを食らっても、決して逃げてはならなかった。

たとえ相手が上手でも、抜刀して立ち向かわねばならないのである。

勝負は二の次で、相手に立ち向かった場合にのみ、面目が立った。

いかなる理由でも相手から逃げた場合には、改易や免職処分になったのである。

また、人前で恥をかかされた場合、面目を失ったといい、相手を斬って自分の正しさを示すと同時に、いさぎよく自決して臆病でないことを示す必要があった。自決によってしか面目を立てる手段がなかった。

仇討という慣習もその延長線上にある。どのような理由にせよ、武士が誰かに斬殺された場合、遺族で親の仇を討つのが義務とされた。

いくら強敵でも相手を討たない限り、主家への帰参は許されなかったのである。

かくのごとき理不尽な世の中で、彼らは死を覚悟して過ごさなければならなかった。守死ともいう。

したがって死すべきところでは躊躇がない。

むしろいかに見事に死ぬかということが大事であった。

義理と死

このため義理を欠いたと思えば、上からの裁定を待たずに進んで死を選んだ。人に言われて切腹したのでは、女々しいといわれる。

廉恥心は武士の魂であり、破廉恥と罵られるのは耐え難いという気風があった。

義理に聡いものは利欲にうとく、利欲に聡いものは義理に疎いという。魔がさして義理を果たせなければ、死をもってあがなわなければならなかった。

それどころか、不注意で義理を果たせなかった場合ですら、弁解はせず腹を切った。

武士にとって言い訳は許されない。無念であるが、すべて結果責任である。

義理と死は表裏一体であった。

忠孝と切腹

江戸の忠孝も大変であった。武士社会はタテ社会であるから、主君の命令は絶対で、ひたすら忠節をつくさねばならない。

ただし忠義は卑屈になってはならず、誤った主君の行為は自らの死をかけてでも、諌めねばならない。

無理難題をいう主君や上役の言動に胸を痛めた武士は、少なくなかったはずである。

一命を賭して主君に仕えるというところから、切腹という身の立て方が生まれたのである。無論、責任をとって腹を切るなど、我が国だけである。

戦後、国民宗教というべきものを持たない我が国で武士道が見直されてきているのは、それなりの理由あってのことである。

ただし正当な評価をしなければ、外国から、かえってひんしゅくを買うことになる。

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