職人気質(かたぎ)

身を労すること

士農工商は紀元前から中国にあったが、江戸幕府が身分制を固定するのに好都合と考え、採用した。ただし本来、士は心を労する士大夫のはずだったが、徳川氏はこれを武士に置き換えた。

儒教では士大夫は理想的な階級で、民衆のために心を砕くのであって、自ら汗をかいて労働に精出すことはしない。身を労することは卑しく、小人のすることだという精神がある。

それを象徴するような話しに、清の終わりのころ、広東の英国領事がその地の地方長官をテニスに誘ったところ、そういうことはうちの使用人にさせますと答えたというエピソードがある。

その英国でも貴族階級には、スポーツとしてテニスはしても、肉体労働は極力避けようとする気分がある。小さい子がいうことを聞かないと、将来ブルーカラーになってしまうよといって脅かすことがあるというし、いまだに大学進学にあたっては文科系を専攻し、工学系は避けるという。

その点、わが国では鎌倉以来、武士が最高位にいたせいで、身を労するのを厭うという精神は育たなかった。

したがって現在でも、理系、文系の優劣を意識する日本人はいないように思う。

一芸に秀でること

よく「芸は身を助ける」というが、時として逆に「芸は身を亡ぼす」こともある。芸事に夢中になった結果、本業がおろそかになることを指している。

その芸とは、修練によって身につけた武術・芸能などの技術をさす。

すなわち我が国には、士の武術ばかりでなく、工にあたる画家、写真家、彫刻家、建築家などに加え、茶人、文筆家、音楽家、料理人、理容師、将棋棋士にいたるまで、一芸に秀でると、ただちに崇拝の対象にする風土がある。

いにしえを振り返っても、定家、世阿弥、宗祇、利休、芭蕉、北斎、柿右衛門、団十郎など、崇拝するのにジャンルは問わない。

また、武士は新陰流、示現流、北辰一刀流など、新たに編み出した剣法が評価されるのはもっともであるが、伊勢氏の馬の鞍、細川幽斎の調理術,細川忠興の兜、古田織部の茶碗、小堀遠州の作庭など、武道と無関係な技術にもかかわらず、周りの武将から尊敬を集めたところがいかにも日本的である。

今でも高い技術を有するものに、文化勲章を授与し「人間国宝」にして崇拝の念を示すのは、この気分を引き継いでいる。

したがって昔から、わが国は一芸に秀でたものには、高い評価を与える社会であったといえる。いったいほかに、人間を国宝にしてまで敬う国があるだろうか。

この点、身を労することを卑しいとする儒教社会では、芸をすることは卑しいことであって、小人のすることだという。したがって公の席では、芸術大学の教授であろうと末席に座すのを至当とする空気がある。

中国、朝鮮などの儒教国からみれば、後白河天皇が宮廷で傀儡子(くぐつし)や白拍子などの下層芸人と今様を楽しむなど、ありえないことで、こういう空気のなかでは、民間芸術が発展する余地は少なかったと推測される。

職人と芸術家

ところで、かつてわが国には職人という言葉しかなく、一芸に秀でた人々が芸術家と呼ばれ始めたのは最近のことである。

もともと、職人のつくるものは「商品」と呼ばれ、同じものがいくらでも造られるため、独創性はない。そこへいくと、芸術家のそれは「作品」と呼ばれ、通常一点もので独創性に溢れているといわれる。

まるで両者は別人のようにいわれるが、ときには腕のいい職人が、注文された商品だけでは飽き足らず、独創的な作品をつくって芸術家になることだってあるだろう。

職人気質(しょくにんかたぎ)

それにわが国には、古来、職人気質なる響きのいい言葉がある。

自分の技能に誇りをもち、妥協を許さず、納得できるまで仕事をやり遂げる実直な気質である。無論、それは好ましい気質と捉えられている。

一方では、寡黙で気難しく、人付き合いが悪く、他人と妥協しにくく、なんでも一人でやろうとし、いやな仕事はしない、他人の意見を聞かないなどの欠点も指摘される。

しかし映像で、千分の1ミリの精度を手作業で研磨する職人技などをみせられると、職人というより芸術家と言いたい気持ちになる。

ところで、創業100年以上の企業が1万を超える国は、我が国を除いて世界に例がないといわれる。

なかには飛鳥時代から寺社建築を手がける創業1400年という老舗も存在する。

このように、先祖代々引き継がれる企業が多いのは、我が国が一芸に秀でたものを敬う国であったからこそと思う。

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