後の先(ごのせん)  

侍

積極的防衛

後の先は剣術の護身に重きをおく戦術として発生した。

馬庭念流(まにわねんりゅう)という武術がある。

かつて戦国時代、上州の馬庭村(現群馬県高崎市馬庭)に住む兵法家、樋口定次が庶民の護身術として作り上げたもので、身を守ることに主眼が置かれている。したがって先に攻撃を仕掛けることはない。一旦護ったのちに攻撃する後手必勝を本意とする。

その「兵法心得」によれば、「七分三分の見切り」といって、相手の攻撃がこちらに届くまでを十とした場合、七分のところまでじっと我慢して相手の動きを見切り、そこから攻撃に転じるとするものである。

もし六分で動き始めると、相手は攻撃の方法を変える余裕ができるため、うまくいかない。逆に八分になると、もはや防御は間に合わず、攻撃をかわすのは不可能である。我慢の目安が七分だというのである。

したがって専守防衛でなく、攻撃するための積極的防衛であり、相手の剣がくりだされても目を逸らさず向かっていく強い心と、俊敏な動きが要求される。

実際には相手の剣を受け止めることもあるし、当てていなすことも、かわすこともある。いずれにしても、これをさばいたのち、ただちに反撃に転じる。

これを「後の先」と呼ぶ。

この戦法はまず関東一円に広がり、のち全国に広がり、その後、柔道、空手、拳法、相撲、ボクシングなど他の格闘技の武道家の心を捉えてきた。

先の先、対の先

ちなみに「先の先」(せんのせん)とは、相手が仕掛けようとする直前、機先を制して攻撃することをいう。

また、「対の先」(ついのせん)とは、相手の攻撃とほぼ同時に反撃を開始するもので、相打ちになる公算が高いが、ほんの一瞬だけ早く、相手に一撃を与えようとするものである。これも危険を伴う戦術であることに変わりはない。

「後の先」は相手の動きをみて対応できるため、見方によっては安全性が高い。虚をつかれる心配がないうえ、逆に相手方はしばしば攻撃をかわされ、体勢が崩れやすい。そこを衝くため、成功率が高いのである。しかし、一瞬でも対応が遅れれば、致命傷となる。危険も大きい。

驚くべきことに「後の先」はその後も衰退することなく、現在まで多くの武道家の間に脈々と受け継がれている。いかにも日本人好みの戦術といえるのではないか。

白鳳の「後の先」

さて今年の初場所の天覧相撲で、白鵬が「後の先」の立ち会いをして話題を呼んだ。

相撲における「後の先」は、白鵬が敬愛する名横綱・双葉山の得意としたところである。相手より一瞬遅れて立つものの、その分、相手をよく見て自分が先手を取って攻めかかる立ち合いをいう。

過去の相撲内容から相手の欠点を把握する判断力。相手の身動きや目の配り方から、その心を読む洞察力。「目で見ず、体で見る。体で見ず、心で見る」とは、立ち会いにいたるまでの心理戦を吐露した双葉山の名言である。

白鵬も双葉山のビデオを参考に、何年にもわたって後の先を試行錯誤してきたという。

その基本の第一は、基本稽古である”ぶちかまし”を、右足を踏み込んで受け止める防御力にあるという。

もうひとつは、同じ側の腕と足が同時に出る「立ち会い」で、土俵上の基本動作“すり足”の鍛錬がモノをいうという。

すなわち、同時に右腕と右足を出せば右の脇が閉まる。脇が閉まると相手は左を差せない。逆に白鵬は右足が前にでているので、右を差しやすい。このため、以前の左前みつ狙いから、最近は右差しにこだわるようになっているという。

ただ「後の先」は立ち会い一瞬の遅れが敗戦に直結するため、きわめて危険性が高い。さらに、仕切り線の前後、どのあたりに仕切るべきか? どのタイミングで手を付くべきか? 腰の入れ具合は? 顔の向きは?なかなか容易なことでは実施できるものでないという。

相撲の歴史

相撲の歴史は垂仁天皇の昔にさかのぼるといわれるが、一大ブームとなったのは、信長の時代である。この時代、立身出世を夢見る力自慢が信長の面前で死闘を繰り広げたようである。甲冑に身を固めた戦場での格闘では、刀で相手を切り倒すことはほとんどなく、相手を組み伏せられる相撲巧者が即、実戦部隊として採用されたからである。

しかし、上位の力士が格下の力士に無様な負けを喫して信長の不興を買ったときは、彼の一存で生死に関わる処分をうけることもあったのではないか。

今の世で、天覧相撲で横綱が下位の力士に負けたからといって、責めを負うことはない。しかし、横綱の意地にかけて負けるわけにはいかない。もし、陛下の面前で土俵に転ぶようなことがあれば、即引退と、心に決めて土俵に上がるのだという。

白鳳の覚悟、勝ち負けのない世界

それほどの緊張のなかで、なぜわざわざ「後の先」を選ばなくてもという声が聞こえてきそうである。

しかし白鵬は、相撲界不祥事事件のあと、初めて天皇陛下がおいでになると聞き、究極の取り口といわれる「後の先」をご披露しようと決意したという。

初場所、通算33回目の優勝を果たした白鵬は、「後の先」を今後の目標にしたいと語り、「このあとはちょっと違う世界に足を踏み入れる。それは勝ち負けのない世界だ」といっている。今後の相撲内容が興味深い。

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