「フォト51」の撮影者 ロザリンド・フランクリン

らせん構造
ユダヤ人家系のロザリンド・フランクリンがケンブリッジ大学に学んだ当時は、大学側がやっとユダヤ人と女子学生の入学を認め始めた頃で、彼女にとって決して快適な環境にはなかった。

しかしフランクリンは首席に次ぐ成績で卒業し、大学院で石炭の結晶構造の研究をおこない、物理化学の博士号を取得した。

その後、ロンドン大学のキングス・カレッジでX線結晶学の研究に携わることになった。X線結晶学とは、結晶へのX線照射による物質の散乱パターンから分子構造を解明しようというもので、対象はDNA結晶の解析であった。

フランクリンはわずか1年で、DNAを水分含有量の差により2タイプに分けて結晶化し、そこにX線を照射して散乱パターンの写真を撮影した。

そして1953年、ついに歴史的な偉業となったフォト51の撮影に成功した。世に名高い、DNAの二重らせん構造を示すX線回折写真である。

彼女はDNAが2、3あるいは4本の鎖からなる、らせん構造をとっているらしいと気付いたが、このデータの意味を解釈しきれず、未発表のまま自力で数学的解析を進めていた。

ノーベル賞を拝借

そのデータを拝借したのは、ワトソンとクリックである。言わずと知れたノーベル医学生理学賞の受賞者である。

ふたりは、フランクリンの実験結果を積み上げて結論を導く手法でなく、頭で論理を展開して結論を得ようとする手法でDNA構造に迫ろうとしていた。

ワトソンはフランクリンの上司ウィルキンスからフォト51をこっそり見せてもらい、そこに示された黒い十字の反射像からDNAの二重らせん構造を確信した。

確執

そこにはウィルキンスとフランクリンとの確執があったというが、貴重なデータを無断で他の研究者の目に触れさせることは、道義的に許される行為ではあるまい。

それとは別に、クリックも英国医学研究機構に提出されたフランクリンの研究報告書を審査員マックス・ペルーツから秘密裡に見せてもらったのである。

報告書のなかには決定的なヒントになる、DNA結晶構造は2つの構成単位が互いに逆方向をとった点対称配置をとるという解釈が記されていた。

これらの情報をもとに二人は、二重らせんを構成する2つの鎖は同じ向きではなく、互いに逆方向を向いて絡まっていたことを悟り、ただちに連名で論文を科学雑誌「ネイチャー」へ投稿した。

生物学史上最も画期的な発見

わずか2ページの短文ではあったが、DNAの二重らせん構造を明示したこの論文は、遺伝とは具体的な物質的基盤をもつ科学現象であることを明らかにしたという意味で、生物学史上最も画期的な発見と評価されるに至った。

フランクリンは終生フォト51の盗作を知らず、素直にワトソンらの発表を喜んだ。

その後、フランクリンはバナール教授のもとでタバコ・モザイクウィルスの分子モデルの構築に携わり成功をおさめたが、不運にも卵巣ガンの為、1958年、37歳で早逝した。終生独身であった。

ノーベル賞は同時に3名までが受賞対象となる。残念ながら死者にノーベル賞は送られない。

ワトソンとクリックにノーベル医学生理学賞が授与されたのは、彼女の死から4年後のことで、皮肉にも3人目にはフランクリンと犬猿の仲にあったウィルキンスが選ばれた。

しかもその年、ノーベル化学賞を授与されたのは、クリックにフランクリンのレポートを無断で見せたマックス・ペルーツであった。

フランクリンの無念を思わずにはいられないが、それらが彼女の死後の出来事であったことが、せめてもの慰めである。

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