FUGA

日本人風雅考

芭蕉と子規

芭蕉の肖像画をみると随分高齢にみえるが、じつは50歳で亡くなっている。

貞享2年(1685年)春、8ヶ月にわたる『野ざらし紀行』の旅から江戸に戻った芭蕉(当時40歳)は、翌年の春を深川の庵で迎えた。

久しぶりの自宅で春の訪れを感じ、4月の陽気に誘われ戸外に出てみた芭蕉は、ふと垣根の根元に、どこにでも見られる雑草のなずなに目が留まった。ああ春だなあ、やっぱり自宅はいいなあという感慨、そしてこんな小さな花にも春が訪れているんだという幸福感を歌に詠んだのではないか。

“よくみれば なずな花咲く 垣根かな”

多くの人が気付かず足早に通り過ぎる、そんななずなに目を止め心を寄せる感性が、爾来激賞されてきた。

しかし果たして、この句にさほどに深い意味があるのだろうか。単に幸福感に満ちた素直な一句ではと思っていたが、古来、この句に対する世評はそんなものでは済まされぬほどに、すこぶる高い。

 

かつて禅の大家、鈴木大拙氏も欧米に出向き、、この句には禅の神髄が込められていると説いて、かの地の人々を圧倒した。

英語に堪能な彼は、「西洋人は、ものを理解するのに草花なら根ごと採り上げ、細分、分析し科学しようとする。しかし日本人は決して手を出さない。草花をどこまでも丁寧に観察することにより、真実に迫ろうとするのである。」といって、禅のこころを紹介した。

 

コロナ禍で自宅に籠るのが日常となり、はや1年が経とうとしている。

立春が過ぎ、陽気に誘われ久しぶりに戸外に足を運んでみる。自宅のまわりを散策していると、ふと道端にひっそりと咲くなずなが目に留まった。

そのとき、芭蕉と同じ句が詠めるかと言われると、どうも心もとない。

しかしその気分は共有できるのではないかと思った次第である。

 

子規の悲痛な祈り

同郷の俳人に正岡子規がいる。

ご存じのように、肺から脊椎まで結核に侵された彼は、もはや一人では動くことすらできず、むなしく死期を待つ身であった。

時々襲ってくる激痛には耐えきれず泣き叫ぶのだが、その合間には、あれが食べたいこれが食べたいと言って、底抜けの陽気さが顔を出す。介護する家族はさぞかし大変であったろう。

“鶏頭の十四五本もありぬべし“

死の2年前、もはやからだを反転し庭を望むことすらかなわなくなった彼が、庭に咲く鶏頭の燃えるような赤に命の息吹を感じ、なんとか生き永らえたいと祈るような気持ちで句を詠んだ。

 

じつは子規庵の庭には、画家中村不折から贈られた鶏頭が十数本植えられていたのだが、この句を詠む前年の冬、霜が降りてすべて枯れてしまったという。

したがって、この句を詠んだ頃に鶏頭はすでになく、からだを横にすることすら難しくなった彼は、昨年秋に見た燃えるような鶏頭を思い起こし、願望を込めてきっと咲いているだろうと詠んだのである。

 

死期迫る中で開かれた句会で、彼はこのほかにも「鶏頭の花にとまりし ばったかな」「鶏頭や二度の野分に恙(つつが)なし」など合計9句を提出した。

しかし、この句は単なる報告文にすぎず、たとえば「花見客十四五人は居りぬべし」と差がないとか、「十四五本」は「七八本」に変え得るではないかなど、批判的な論評が少なくなかった。

しかし一方で、病者と力強いエネルギーをもつ鶏頭との対比を評価する声も少なくなく、その後長らく論議を呼んだことであった。

 

たしかに子規の作と知らされずこの句を提示されたら、駄作と片付けられそうである。

しかし死を目前にして、なお一縷の望みを抱く切実な背景を知って味わえば、この句は深い感動を呼ぶのではないだろうか。

 

コロナ禍で自宅軟禁のごとき生活を送っている昨今、以前から気になっている句をとりあげ、論じてみた。

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