RELIGIOUS SPIRIT

日本人の宗教心

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酩酊にもいろいろ

酩酊は必ずしもアルコールによるとはいえない。 われわれは思想にも酔う。それはしばしば信仰という形をとる。 ところで、終日ぬるま湯につかった生活をしていると、頭も冬眠するがごとくなる。物思う必要に迫られないからで、それはそ...
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東大寺二月堂に集うひとびと

毎年、 3月 1日になると東大寺二月堂の「お水取り」が、ひとびとに春の到来を告げる。 もともとこの法会は、修二会(旧暦二月に修する法会)と呼ばれ、選ばれた練行衆と呼ばれる 11名の僧によって、旧暦の 2月(新暦では 3月 ...
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富永仲基の仏教観

法華経も阿弥陀経も釈迦の仏教でなく、後世の人の作だといったのは、大阪の町人・富永仲基(なかもと)である。 彼の棲んだ江戸時代、幕府が容認している仏教に対して、釈迦が始めたものではないと声を出すのは、身の危険を覚悟の上である。し...
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唯識

かつて南都北嶺といって、その威風は朝廷から一目置かれるほどであった。 南都は奈良、といっても興福寺、北嶺は比叡山延暦寺を意味し、ともに平安時代、寺院でありながら圧倒的な存在感を示した。 なぜ寺が、と言われそうだが、じつは...
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神をとるか仏をとるか

もともと我が国の神は自然崇拝から発したもので、八百万の神々が山川草木至る所、家のなかにもおられるという。 古代人は神のおはしますところを掃き清めて祈りを捧げ、感謝や心の救済を願っていたとおもわれる。 ところが7世紀にいた...
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弥勒菩薩半跏思惟像

広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像が国宝第1号に認定されたというだけで、当時からこの像がいかに魅力的な存在であったかが分かる。 仏像にしては珍しく、座位で右足先を左大腿に乗せ、右膝頭に右肘をついて物思いにふける半跏思惟像である。どちらかと...
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般若心経を唱える人々

釈迦が説いたもの その昔、釈迦は、人生は思いのままにならないことばかりであるとの結論に達し、この世は「一切皆苦」であると嘆息した。そしてその苦しみの根源は無明(煩悩)にあり、そのせいで12の不幸が連鎖的におこり、最後に老死とい...
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禅の世界

われわれは家に入ると靴を脱ぐ。居間では坐るのが当たり前である。 心乱れたときに自らを落ち着かせるため坐禅を組むのも、坐る文化の延長線上にある。 欧米人が禅に対して抱く憧れは、坐禅という静謐な雰囲気と、神のいない世界にいて、ひ...
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儒教精神

突然、君は儒教の教えに従って生きているかと問われたら、とんでもないと答えるだろう。 そんなことは考えたこともないというだろうが、親孝行をしなければとか、弱いものには思いやりをもって接するとか、嘘はつかないとか、目上のひとには礼...
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阿修羅

ひとりで何人分もの働きをすることを、三面六臂とも八面六臂ともいう。 「臂」とは手首から肘にいたる前腕の意で、3つの顔と6つの腕をもつ仏像から来ている。 八面六臂像は現実には存在しないが、超人的な働きをするという意味からそう呼...
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因果応報

ある結果に至った経緯を探ると、直接の原因はひとつでも、それに関する様々の条件がそろって初めて結果が生まれるという事実に気付く。 直接の原因を因といい、それを助ける条件を縁と呼ぶ。あわせて因縁という。 つまり因縁があって初めて...
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華厳世界

たとえばバチカンでサンピエトロ大聖堂やシスティーナ礼拝堂を見上げた時に感じるカトリック世界への畏怖と、東大寺大仏を見上げたときの仏教世界への畏怖は、設計を命じた者の意図が似ているだけに共通した感慨を覚える。 屈伏しないものを自分の...
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絶対他力

我が国で浄土といえば、通常、阿弥陀仏の極楽浄土を意味している。 その極楽浄土に念仏を唱えることで往生できるという浄土信仰は、すでに飛鳥時代、インド中国を経て我が国に伝わり、浄土教として上級貴族の間に浸透していた。 平安中期(...
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利他行

人にしてもらいたことを人にする。 そして相手を満足させられなければ、自分もまた満足できない。 これが仏教でいう利他行である。 “人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である...
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妙法蓮華経

法華経が大乗仏教の代表的経典として、紀元2~3世紀に登場したことは先に触れた。 法華経は妙法蓮華経の略で、妙法は真実の法の意である。 蓮華は蓮の花であり、泥の中から美しい花を咲かせる姿に、仏教者は己の生き方を感じ取ったの...
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仰いで天に恥じず

天は中国に源を発する。 ひとは天命に従わねばならず、これに逆らうとお天道さまが見ていて、天罰を下すという。 西郷の「敬天愛人」、漱石の「則天去私」もこれから来ている。 “孟子”に「仰いで天に愧(は)じず、俯して人に愧(...
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