RELIGIOUS SPIRIT

日本人の宗教心

東大寺二月堂に集うひとびと

毎年、 3月 1日になると東大寺二月堂の「お水取り」が、ひとびとに春の到来を告げる。

もともとこの法会は、修二会(旧暦二月に修する法会)と呼ばれ、選ばれた練行衆と呼ばれる 11名の僧によって、旧暦の 2月(新暦では 3月 1日)より 14日間執り行われる。

  この間、彼らは1日 6回、本尊である十一面観音の徳をほめ讃えて礼拝し、人々の過ちを悔い,今後の平安を祈る悔過(けか)作法を繰り返す。

終日、諸仏の名を唱え、十一面観音の功徳を挙げて唱句を斉唱し、観世音菩薩の名号を唱えては礼拝を繰り返すため、かなりの体力を要する難行である。

 神道の参加

これに加え、日に2回、神名帳を読上げて全国 13700か所の神々を勧請 し、世界の平和を祈願する大導師作法が行われる。この作法では、歴代の天皇や東大寺の縁者、災害に倒れた人々の菩提を弔うとともに、天下太平、万民豊楽を祈願する。

意外なことに、ここでは明らかに神道が仲間に加わっていることが分かる。

  密教、修験道の参加 

さらに日に2回、二月堂を清浄にするため、悪鬼や魑魅魍魎(ちみもうりょう)を追い払う呪師(じゅし)作法が行われる。咒師は須弥壇の周りを回りながら、清めの水を撒き、印を結んで呪文(梵語)を唱える。明らかに密教的な儀式である。

加えてこれらの作法の間には法螺貝の吹き合わせが登場し、修験道までも参加していることが分かる。

 お水取りのルーツ

この咒師作法の中で、 3月 12日深夜、咒師は松明に照らされながら 5人の練行衆とともに閼伽井屋(あかいや)へ水をくみに出かける。その水は霊水なので決して腐ることがないと信じられており、本尊に供えられたり、供花の水に用いられるのだが、そこには以下の故事が関わっている。

 

その昔、神々への勧請にもかかわらず、魚を採っていて参集に遅れた若狭の遠敷明神が、恐縮して二月堂のほとり“閼伽井屋”に清水を涌き出ださせ、観音菩薩に奉ったという逸話がある。

そこから「お水取り」の儀式が始まった。

 

 お松明(おたいまつ)のルーツ

また、この修二会では 14日間、夜に入ると二月堂に上堂する練行衆に、それぞれ道明かりとして童子(実際は大人)による「お松明 (おたいまつ)」が灯される。

本来は道明かりが目的のため小さな松明であったが、童子が見せ場を願うようになって次第に巨大化した。

 

11名の練行衆一人ひとりの前に、各々一人の童子が松明をかざして先導し、僧が入堂した後、欄干に回り、下にいる観客に向け松明を振って火の粉を撒くのである。その火の粉を浴びれば無病息災になると信じられ、二月堂には数万の人々が集うようになった。

 

とくに 3月 12日の夜には長さ 8m、重さ 70kgもの籠松明 11本が登場するため、二月堂のまわりには大仕掛けの舞台に期待する空気が横溢し、夜空に火の粉が舞うたび、欄干の下は歓声に包まれる。堂内で勤行する僧侶の方々には誠に迷惑千万と、同情を禁じ得ない。

 

ただ 1200年間も、暗闇に火の粉を振りまくようなことをしておれば、いつかは火災が発生するのではと誰もが危惧する処だが、周到な消火体制が整っているため、実際にはほとんど無事故である。

わずかに、江戸時代の寛文7年( 1667年)、お水取りの最中に失火、焼失した例があるだけである。したがって現在の二月堂は、そのとき再建されたものである。

 

 密教の護摩行

この「お松明」の炎を眺めていると、火中に護摩木を投げ入れて祈願する、密教の護摩行が彷彿と浮かんでくる。

たしかに火は闇を照らし、真実を知りうる光の源であるとともに、悪や不浄のものを焼き尽くし、世界を再生させる力の源にもなるだろう。それがまさに護摩行の真骨頂といえるのではないか。

しかし一歩間違うと、大切なものを一瞬にして無にするほどの危険なしろものとなる。

 

ところで、真偽のほどは知らないが、いつの世も宗教がなければ生きていけないという人々が必ず存在するという話を聞く。

それを証拠づけるかのように、我が国にもつぎつぎに新興宗教が興っている。今後もきっと出てくるだろう。

それなら、今後生まれてくる宗教のなかには、必ずや火の魔力を利用しようとする教団が出てくるだろうと思ったことである。

 

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