近年、ピロリ菌が注目されるようになってきた理由は、ピロリ菌が胃潰瘍や胃ガンの原因であることがはっきりしてきたからだと思われます。
ピロリ菌がきわめて特異な細菌である理由は、強酸の胃液のなかで生き残った唯一の菌であることと、自然界に40万種類もいるという細菌のなかで唯一、人体にガンを発生させる細菌であるという事実です。
それほど特別な細菌がなぜ今まで発見されずにいたかといえば、それは医学界に、胃のなかに細菌は生存できるはずがないという信仰が根強くあったからです。
確かに以前から、胃の病理標本のなかにらせん菌のごときものは見られていましたが、それは標本作成の際に生じた雑菌の混入か、あるいは菌に似た異物ではないかと考えられていました。
ウォーレン博士
30年前、オーストラリアの病理学教授ウォーレン博士は、胃が障害されたひとの標本にしばしば、らせん菌が見え、これが胃炎の原因になっているのではないかと疑うようになりました。
ちょうどそのころ、ウォーレン博士のもとに赴任してきた若きマーシャル医師がこれに興味をもち、二人でこの細菌の研究に取り組みました。
彼らは緻密な臨床研究を重ねた結果、らせん菌の分離培養に成功し、マーシャル医師みずからピロリ菌を飲み込むという人体実験を経て、ピロリ菌の病原性を証明することに成功しました。
その後、ピロリ菌は胃潰瘍や胃ガンも引き起こすことが分かってきました。
現在では、胃潰瘍の70%、十二指腸潰瘍の95%がピロリ菌により発生するといわれています。
胃潰瘍では非ステロイド性抗炎症剤(インドメサシンなど)や抗血小板剤(アスピリン)、アルコールが原因になることが30%ほどあるため、このような差となっています。
また、胃ガンのかたの98%にピロリ菌が確認されており、ピロリ菌を除菌すると、ほとんどガンが発生してこない事実から、胃ガンもピロリ菌が原因ではないかと考えられています。
ピロリ菌を持っている人の中で、塩分を多くとる習慣のある人は3倍も胃ガンができやすく、糖分をとり過ぎるひとは4倍も胃ガンができやすく、さらにヘビースモーカーのひとは11倍も胃ガンができやすいといわれています。
ピロリ菌と健康
ピロリ菌に感染すると必ず胃潰瘍や胃ガンになると恐れているかたがいますが、それは杞憂です。今の日本人でピロリ菌に感染しているひとは約6,000万人といわれていますが、70%は健康保菌者で発病しません。
30%のひとが胃炎などの傷害を受け、さらに3%(180万人)のひとに胃潰瘍、0.2%(10万人)のひとに胃ガンが発生しているのです。
ところで、ピロリ菌は胃のなかだけでなく、唾液や糞便にも出現します。
40歳以上の日本人には60%以上のかたにピロリ菌がみられますし、20歳以下の若者には10数%しかピロリ菌がみられません。
これは40年前まで我が国ではし尿処理がされず、直接畑の肥料にされていた事実と深い関係があります。
それまでに畑の野菜には大量のピロリ菌が付着していたものと考えられます。その後、インフラ整備が進み、下水道が発達したおかげで、化学肥料が使われるようになり、畑からピロリ菌は姿を消すことになりました。
今なお、若者にピロリ菌がみられるのは、ピロリ菌をもつ母親が口移しに食物を乳幼児に与える際、ピロリ菌も移しているのではないかと考えられます。
また、ハエやゴキブリ、犬猫によってピロリ菌が付着したおもちゃなどを、乳幼児が口に入れて感染する可能性も指摘されています。
さらにピロリ菌は5歳までの乳幼児にしか感染しないといわれますが、そのわけは、乳幼児の胃がすべすべしてピロリ菌が棲みやすいことと、免疫能が未熟なためピロリ菌を排除できないのではないかといわれています。
塩酸の海で生き延びられる理由
それにしても、ピロリ菌は塩酸の海ともいうべき胃液の中で、どうして生きていられるのでしょうか?
それはピロリ菌自身がもつウレアーゼという酵素によります。ピロリ菌は胃液に含まれる尿素に目をつけ、これをウレアーゼで分解し、アンモニアと二酸化炭素を発生させるのです。このアンモニアを身にまとって胃酸を中和し、酸の攻撃から身を守っているのです。
ピロリ菌は空胞化毒素(VagA)という毒素を吐き出し、アンモニアや活性酸素などとともに胃の壁を長期間にわたって傷つけます。
こうして胃の粘膜は老人の皮膚のようにカサカサになり、ついには火事の焼け跡のごとく変質します。これを萎縮性胃炎と呼びます。
さらに萎縮性胃炎が進行すると、胃の粘膜には腸上皮化生という変化がおこり、これがガンの母地となっていきます。
胃ガンの発生機序については、CagAという毒素をもった悪玉ピロリ菌が胃の壁に針を刺して、CagAを注入します。すると胃の粘膜にあるSHP2というタンパクと結合し、細胞の異常増殖がおこりガン化へつきすすむといわれています。
こうして平成6年、国際ガン研究機関により、ピロリ菌は胃ガンの原因菌に認定され、ガンの原因であると判明した唯一の菌となったのです。
ところで現在世界では年間65万人が胃ガンに罹患していますが、その大半がアジアに集中しています。とりわけ、日本、韓国、中国に多く、日本は年間10万人と世界一の胃ガン大国となっています。たしかにこれらの国には悪玉ピロリ菌が圧倒的に多くみられるのです。
検査法
ピロリ菌の検査法としては、尿素呼気試験や敏速ウレアーゼ法、抗体法などがありますが、もっとも信頼性の高いのは尿素呼気試験です。
ピロリ菌は胃ガンだけでなく、マルトリンパ腫や特発性血小板減少症なども引き起こすことが知られています。
ピロリ菌の殺菌治療を除菌療法と呼び、平成12年からスタートしました。
強力な制酸剤PPI(プロトンポンプインヒビター)とともに2種類の抗生物質、アモキシシリンとクラリスロマイシンを1週間服用します。これで80%のひとは除菌に成功します。
この治療に失敗した20%のかたには、平成19年、クラリスロマイシンをメトロニダゾールに入れ替えた治療法が開発されました。「二次除菌療法」とよびます。
これでさらに90%のかたが除菌に成功します。
以上が現在認可されている治療法ですが、これでも除菌に失敗した場合には、メトロニダゾールをレボフロキサシンに入れ替えた治療法、あるいはアモキシシリンの高用量法が現在検討中です。
除菌
一度除菌に成功すると、ふたたびピロリ菌に感染することはほとんどないといわれています。
ピロリ菌の除菌に成功すると、胃、十二指腸潰瘍の再発率は70%からじつに2%にまで激減します。
また胃ガンの発生も激減することがわかっていますが、残念ながらすでに萎縮性胃炎が進行しているかたには、除菌しても胃ガンをブロックするのは困難ともいわれています。
除菌療法のメリットはいうまでもなく、胃、十二指腸潰瘍の再発と胃ガンの発生を防ぐことができる点にあります。
一方、デメリットは除菌療法中、下痢や味覚異常が5~10%にみられること、除菌後、胃酸分泌が回復して逆流性食道炎がおこりやすくなること、耐性菌が蔓延する危険が心配されることなどです。
現在、ピロリ菌の除菌療法は胃、十二指腸潰瘍のかたにしか保険診療が許されていません。しかし、いままで述べてきたことからも分かるように、潰瘍の有無にかかわらず、除菌はしておくべきだとおもわれます。
平成21年1月、ピロリ菌の学会(ヘリコバクター学会)は、全国民にピロリ菌の除菌をすすめるメッセージを発表しました。ピロリ菌の検査費用も除菌費用もともに6~7,000円です。健診を受けられるときに申し出て、一度ピロリ菌検査を受けてみてください。