iPS細胞による再生医療の現状
iPS細胞による再生医療の試みは、網膜色素変性(理研)、パーキンソン病(京大)、心不全(大阪大)、脊髄損傷(慶応大)の各分野で、今まさに着手されようとしています。
その先陣をきって、2014年、失明のおそれもある加齢黄斑変性の女性に、自分の皮膚細胞から作製したiPS細胞由来網膜色素上皮細胞を移植する手術が、世界で初めて行われました。
理研の発生・再生科学総合研究センターの高橋政代医師の執刀によるものです。現在術後障害もなく、順調な経過をたどっています。
iPS細胞作製の進歩
ところで万能細胞といわれるiPS細胞は、私たちの皮膚や血液の一部をとって、その細胞内に山中ファクターと呼ばれる遺伝子を挿入し培養すると、約3週間でつくることができます。
しかしそのなかで、実用に供することのできるiPS細胞はほんの一部しかなく、現実にiPS細胞の作製には、かなりの時間と労力を要していました。
そこで、慶応大学の福田教授は、ES細胞では受精卵が2分割される時期に、ヒストンH1fooという蛋白が働いていることに着目し、ES細胞の成長力の一因がそこにあるのではないかと考えました。そして、山中ファクター挿入時にヒストンH1fooを加えて培養した結果、8倍も多く良好なiPS細胞が得られることに成功しました。
心筋細胞の作製
さらに、iPS細胞から心臓の細胞を作成するにあたり、iPS細胞にブドウ糖やグルタミンを加えて培養すると、心筋だけでなく他の細胞にも変化しますが、これらを除外し乳酸のみで培養すると、心筋細胞だけに変化することを発見しました。
つまり、心筋細胞はブドウ糖でなく、細胞の外にある乳酸を細胞の中に取り入れてエネルギーを得ていますが、ブドウ糖を使ってアミノ酸や核酸の合成をしているiPS細胞では、乳酸のみで培養すると、心筋細胞以外の細胞には変化できないのです。
この心筋細胞を培養して増やし、傷ついた心臓に移植すると、健康な心筋に発育するのです。
こうしてiPS細胞による心筋の再生医療は現実性をおびてきているのです。
iPS細胞とES細胞の差
このようにiPS細胞の実用化に向けた研究では、わが国は世界の最先端に位置しています。
しかし欧米では、すでに10年以上にわたりES細胞による再生医療が主流となっており、その研究成果はわが国をはるかに上回っているのです。
そもそもiPS細胞にはES細胞のような倫理的問題が発生しないという利点がありました。
つまり、ES細胞はひとの受精卵からつくられるため、それを操作して心臓や脳などの組織をつくるというのは、倫理的に許されないという世論が大勢を占めているのです。
そこへいくと、iPS細胞にはこの問題がおこりません。皮膚や血液など、からだのどの細胞からでも作ることができ、非難の対象となる受精卵を用いないですむわけです。
これに安心して、iPS細胞を用いた再生医療研究は進展してきたのです。
ところが、iPS細胞がからだのどのような組織にでも変化できるとなると、精子や卵子にでもなることが可能です。iPS細胞研究が進んでくると、意図的に受精卵をつくるのも不可能ではなくなります。つまり、ひとの皮膚の一片から子供がつくられるという可能性が出てきたのです。
これでは、安全なはずのiPS細胞もES細胞と同じジレンマに陥ってしまいます。
そもそもES細胞とiPS細胞は出発点が違うだけで、中身は同じです。その培養の方法も、目的とする細胞へ変化させる(分化という)方法もまったく同じなのです。
つまり、再生医療の研究者にとって一番頭の痛い問題がいまだ解決されていないのです。
現在は研究者の高い倫理観によって、こういう危惧は避けられていますが、今後じっくり議論を煮詰め、安全な枠組みを決めていくことが求められます。
間葉系幹細胞による再生医療
ところで、このES細胞やiPS細胞のような万能細胞を培養して再生医療にもちいる手法とは別に、もともとからだに備わっている幹細胞をつかった再生医療も着実に進歩してきています。
そこでもっとも注目されているのが間葉系幹細胞と呼ばれるものです。骨髄のほかに歯髄、脂肪、へその緒などに存在し、骨、軟骨、腱、脂肪、神経などへ分化する能力を持っています。また、ES細胞やiPS細胞に比べ安全性が高いのも特徴です。
したがって現在、骨や血管、心筋の再構築など、再生医療への応用が摸索されています。また、間葉系幹細胞から分化させてつくった軟骨細胞シートにより、軟骨損傷の治療がおこなわれており、さらに間葉系幹細胞を移植後の拒絶防止に用いたり、がんの遺伝子治療薬の運び屋に用いる研究も進んでいます。